大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和44年(あ)822号 判決

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人木下富雄の弁護人免出礦の上告趣意について。

所論は、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

被告人木下富雄の弁護人柏崎正一、同副聡彦、同野村宏治、同徳永昭三連名の上告趣意について。

所論第一点は、違憲(一五条二項、三六条、三一条違反)をいうが、記録を調べても、所論指摘の事実を認めることができないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

同第二点は、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

検察官の上告趣意について。

所論第一点は、原判決が、株式会社今井建設(以下本件会社という。)設立時の取締役および監査役の選任登記は、これを虚偽不実とはなしえないとして、この点についての公正証書原本不実記載、同行使罪の成立を否定したのは、株主総会の決議によらない取締役選任登記は公正証書原本不実記載罪を構成するとする大審院昭和九年(れ)第一三一三号同年一二月一八日判決・法律新聞三七九六号一五頁に違反するという。

募集設立による株式会社設立時の取締役および監査役の選任は、株式引受人によつて構成される創立総会においてなされなければならないことは、商法一八三条の明定するところであり、これは、その後のこれら役員の選任が、株主総会によつてなされなければならないのとその軌を一にするものである。

ところで、原判決(その引用する第一審判決を含む。)によれば、本件会社は、被告人木下末廣らが発起人または株式申込人となつて設立されたものであるところ、これらの者は、すべて親族関係にあるか、あるいは同じ株式会社木下組の従業員として、かねてから昵懇の間柄で、しかも、本件会社設立に関しても常日頃顔を合わせてその意思の疎通を図り、本件会社の取締役および監査役の選任についても、その意思の一致をみていたというのである。原判決は、このような事実関係のもとで、関係者の一致した意思のもとになされた取締役および監査役の選任は、これを虚偽不実のものということはできないとして、この点についての公正証書原本不実記載、同行使罪の成立を否定しているのである。

そうであるとすれば、原判決が、創立総会が形式上存在しないとしても、その登記事項を不実とはいえないとしているのは、創立総会による選任決議がなくても、役員選任登記が有効であるとする趣旨ではなく、特に創立総会の名のもとに招集された会合がなされず、また、その招集手続等に瑕疵がなかつたとはいえないとしても、前記のような事実関係のもとにおいては、取締役および監査役の選任は、創立総会における選任決議によるものとみられないわけのものではなく、その登記を不実とすることはできないとしている趣旨と解すべきである。このように考えれば、原判決は、結局、本件取締役および監査役の選任登記は、創立総会の決議によるものであるとしていることになるから、これが所論引用の判例に反する判断をしたものということはできず、所論は理由がない。

同第二点は、原判決が、昭和三六年一〇、一一月分の本件入場税法違反事件について、収税官吏のした告発は無効であり、かかる告発によつて提起された本件公訴は不適法であるとして、これを棄却したのは、国税犯則取締法一三条一項但書の解釈に関する最高裁昭和二四年(れ)第九一二号同年七月二三日第二小法廷判決・刑集三巻八号一三八六頁等に違反するという。

ところで、国税犯則取締法一三条一項本文は、国税局または税務署の収税官吏が、間接国税に関する犯則事件の調査を終了したときは、これを所轄国税局長または所轄税務署長に報告すべき旨を定め、その但書において、犯則嫌疑者の居所分明ならざるとき、犯則嫌疑者逃走の虞あるとき、証憑湮滅の虞あるときは、直ちに告発すべきことを規定し、さらに、同法一四条一項は、国税局長または税務署長は、同条二項による例外の場合を除き、犯則者に対し、罰金または科料に相当する金額等を納付すべきことを通告する、いわゆる通告処分の制度を定めている。この制度は、いわば犯則者と国家との私和を認めたものともいうべきであり、国家の徴税の便宜を考慮した制度ではあるが、同法一六条一項によれば、犯則者が通告の旨を履行したときは、同一事件につき、起訴されることのないことを規定しているところからすれば、単に徴税の便宜のみによるものではなく、犯則者に対し、同人がこの通告に従うことによつて、公訴権消滅の利益を与えた制度でもあるといわなければならない。

そうであるとすれば、通告処分に付するかいなかの判断は、徴税者の便宜の見地からのみされるべきものではなく、いわんや恣意にわたることの許されないことは論ずるまでもないところである。このことは、収税官吏による同法一三条一項の報告、告発の運用に関しても妥当するものであり、収税官吏が、同項但書所定の事由があるとして、直ちに告発した場合においても、その要件事実の有無の判断に誤りがあるときには、その告発は無効であり、それによる公訴提起の効力が否定されるのもやむをえないものと解すべきである。この点につき、原判決のいうところは、その表現に若干の相違があるとはいえ、ひつきよう、右と同旨に帰するものであつて、もとより正当といわなければならない。

これに対し、所論引用の当裁判所第二小法廷判決には、告発の要件の判断は、収税官吏に任されているとして、あたかも、この点の当否についての裁判所の審査を否定しているかのような点もないではないが、これに先だち、同判決が、同法一三条一項但書所定の事由の存在を具体的に認定判示していることなどに徴すれば、同判決も、収税官吏によるこの点の判断の当否に、裁判所の審査を及ぼすことを否定する趣旨のものとは解されず、結局、同判決も、前記の当裁判所の見解と同一に帰着するものと解すべきものである。それゆえ、この点についての原判決の判断は、所論引用の当裁判所第二小法廷判決に反する判断をしたものとはいえず、所論は理由がないものといわなければならない。なお、所論が、判例違反の判例として引用するその余のものは、すべて、大審院ないし高等裁判所の判決であるところ、右のように、すでに、該事項につき最高裁判所の判例が存するのであるから、これらは、すべて、刑訴法四〇五条三号所定の判例とすることはできない。

よつて、同法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(下村三郎 田中二郎 関根小郷 坂本吉勝)

検察官の上告趣意

原判決は、刑法第一五七条第一項(公正証書原本不実記載の罪)の解釈に関する大審院の判例と相反する判断をし、また、国税犯則取締法第一三条第一項但書の解釈に関する最高裁判所及び高等裁判所の諸判例と相反する判断をしたものであつて、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑事訴訟法第四〇五条、第四一〇条第一項により原判決は当然破棄せらるべきものと思料する。

第一点 公正証書原本不実記載、同行使罪に関する判例違反

一、原判決が、検察官の控訴を棄却した部分(公正証書原本不実記載、同行使の点)において、本件株式会社創立総会不存在の事実を認めながら、被告人らの同会社設立登記申請行為につき公正証書原本不実記載罪の成立を否定する判断をしたのは、昭和九年(れ)第一三一三号同九年一二月一八日大審院判例(法律新聞三七九六号一五頁)と相反する判断をしたものであり、右は判決に影響を及ぼすことが明らかである。(本件公正証書原本不実記載、同行使の事実では右創立総会不存在の事実のほか、いわゆる「見せ金」により株式の払込を仮装して本件株式会社が適法に設立されたように装い、登記簿に不実の記載をなさしめた事実も起訴され、これに対し原判決は「見せ金」の事実は認められないとして検察官の控訴を棄却しているが、この点は単なる事実誤認に帰し、上告の対象とならないので、第一審判決及び原判決の右部分に関する判断には触れない。)

右事実に関する公訴事実の要旨は「被告人木下富雄、同木下末広、同岩崎薩夫、同永田清次、同木下辰則は共謀のうえ、いわゆる「見せ金」操作により会社設立の登記手続をしようと企て、昭和三七年三月一〇日ごろ被告人木下末広ほか六名を発起名義人とし、商号は株式会社今井建設、土木建築工事の設計施行の請負、建築材料の製作及び販売等を事業の目的とし、発行株式総数八、〇〇〇株、設立の際発行する株式二、〇〇〇株、一株の金額五〇〇円、すべて額面株式とする旨の定款を作成して、同月一三日公証人中野謙五の認証を受け、後藤辰彦の株式申込名義人として同人及び右発起人らにおいて右全株式を引受けた旨の株式引受証七通などを作成し、同月一四日ごろ被告人木下富雄において金策した一〇〇万円を右株式引受人らが引受株数に応じて払込んだように装い、株式会社肥後銀行に預け入れ、同行から株式払込金保管証明書の交付を受けたうえ、全く株金の払込がなく、創立総会を開催していないのに、適式の手続を踏み同日創立総会を経て取締役及び監査役を選任したように偽り、同月一九日熊本市大江町熊本地方法務局において係官に対し、右虚構の事実を記載した定款、株式引受証、創立総会議事録などを同会社設立登記申請書とともに提出し、同日登記官吏をして登記簿の原本にその旨不実の記載をさせ、即時これを同所に備付けさせて行使した」というにある。

この起訴事実に対し原判決は、つぎのように判示して公正証書原本不実記載、同行使罪の成立を否定した。

「本件においては、原判決説示のように、各発起人および株式引受人は、被告人岩崎はもとより他の者においても有効な株式会社の設立に必要な一切の事項の決定および手続の進行の全権を被告人富雄、同末広、同岩崎に委任し、同被告人らがこれに基づき右登記事項を決定して設立手続を進行し、また取締役及び監査役として指名された者らにおいて事前にその就任の推定的同意をしていたとうかがわれるから、商法第一八八条第二項所定の株式会社設立の登記事項である商号、目的、本店、取締役、代表取締役、監査役の氏名、会社が発行する株式の総数、額面株式一株の金額、発行済株式の総数、額面無額面別の数、資本の額、会社が公告をなす方法等そのもの(しかして、払込があつたかどうかは登記事項ではない)は、いずれも個々的には発起人、応募株式引受人ら創立総会の構成員となるべきものの意に副つたものであつて、実質内容において真実なものと解さざるを得ず、到底虚偽不実なものといえないのである。(以下本件会社が見せ金による払込仮装に関する部分省略。)

ついで創立総会不存在の点であるが、前叙のようにこの総会で決議されたとして登記されている事項は全て実質内容において真実なものであり、払込も有効である以上、株式会社設立上の一手続としての創立総会が形式的に存在しないとしても、その他の本件会社設立手続により、多形上法人格の取得に見合う本件会社の団体的実体の成立していることは否定しがたいのであつて、右瑕疵の存在によつて直ちにこのような実体を法律的な価値判断において全然無視して本件会社は不成立で存在しないということは、本件株式会社設立手続全体の法律的評価の観点からして妥当でない。(中略)

前叙のように、本件登記事項につき虚偽不実性が認められない以上、右事項の決定につき所論の如き形式的手続的な瑕疵がありまたこの瑕疵を被告人らが知つていたことの故をもつて、右のような実質内容の真実なることを無視し、直ちに公正証書原本不実記載、同行使罪としての責を負わすことは、同罪の立法趣旨、法益および本件会社のごとき規模の個人会社ないしこれに準ずる同族会社の設立手続の常態ならびに商法四二八条の法意に照らし、妥当な解釈とはいえず、むしろこれらの罪は成立しないと解する原判決の判断は相当であると認めざるを得ない。」

すなわち、原判決は第一審判決と同様に、本件会社の設立にあたり商法所定の創立総会の招集、創立事項の報告、取締役及び監査役の選任ならびに設立手続の調査などを全然行なわなかつた事実を認めながら、同総会で決議されたとして登記されている事項はすべて実質的内容において真実に合致しているとして公正証書原本不実記載、同行使の罪の成立を否定したものである。

二、しかしながら、株式会社設立における実質的内容の形式手続の一つとして重視される創立総会の決議(商法第一八〇条)、発起人による創立事項の報告(同一八二条)、取締役及び監査役の選任(同一八三条)ならびにその者による設立手続の調査報告(同一八四条)を全然行なわなかつた場合は、もちろん設立無効を生ずるものである(河村鉄也「株式会社(設立論)」有斐閣二七六頁、西原寛一「会社法」岩波書店九二頁、大隅健一郎ほか「会社法」高文社二八頁など)。しかして、本件のごとく株式会社の設立手続に瑕疵がある事案において、これを認識しながら会社の設立登記をした者に対し公正証書原本不実記載、同行使罪の成否を判断する場合は、会社設立の私法上の効果とは関係なく、右瑕疵の存する個々の登記事項(商法第一八八条第二項各号所定)ごとに虚偽不実の有無を論じ、同罪の成否を判断すれば足りることはすでに最高裁判所判例(昭和三九年(あ)第一八五四号、同四〇年六月二四日第一小法廷判決刑集一九巻四号四六九頁、昭和三八年(あ)第一五九三号同四〇年一〇月五日第三小法廷決定判例時報四二八号九一頁、昭和三九年(あ)四七二号昭和四一年一〇月一一日第三小法廷判決判例時報四六四号五二頁)により確定したところである。

そこで、本件においてこの観点から商法第一八八条第二項各号所定の個々の登記事項ごとに虚偽不実の有無を検討すると、本件は同条同項第七号「取締役及監査役ノ氏名」に関し虚偽不実があり、この点につき公正証書原本不実記載罪が成立すると認めなければならない。すなわち、同第七号「取締役及監査役ノ氏名」は法律上有効に選任された取締役及び監査役の氏名を指称するものと解すべきところ、右取締役及び監査役は、商法の規定によれば創立総会において選任すべきものであり(第一八三条)、しかもその選任決議は出席した株式引受人の議決権の三分の二以上であり、かつ、引受ありたる株式の総数の過半数にあたる多数をもつてなすことを要する(第一八〇条第二項)ものであるから、これらの法定手続を履践しない取締役及び監査役の選任登記は無効といわざるを得ない。これは商法が株式会社設立につき法定の手続(第一六八条ノ二以下)さえ履践すれば、官庁の許認可を必要としないで、登記により成立する(法人格を取得する)となす準則主義の建前をとり、これら法定の設立手続を厳格に履践することを強行している立法趣旨に照しても明らかなところである。

この点につき原判決が、前記のとおり、創立総会を開いて取締役及び監査役の選任決議をした事実がなくても、取締役及び監査役として指名された者らにおいて事前にその就任の推定的同意をしたとうかがわれるので、商法第一八八条第二項第七号の「取締役及監査役ノ氏名」についても実質内容において真実なものと解され、虚偽不実なものとはいえない旨判示して、公正証書原本不実記載、同行使罪の成立を否定したが、前記大審院昭和九年一二月一八日判決は、株主総会を開いて取締役選任の決議をした事実がないのにその旨虚偽の登記をした本件同旨の事案につき同罪の成立を認める判断を示しているので原判決は右大審院の判例に相反する判断をしたものといわなければならない。

三、すなわち右大審院判決は、株主総会の決議不存在に基づく虚偽の取締役選任及び解任の登記申請について刑法第一五七条第一項の公正証書原本不実記載、同行使罪が成立すると判断したものであり、本件に対する原判決は、創立総会の決議不存在に基づく虚偽の取締役及び監査役選任の登記申請について同罪が成立しないと判断したものであるが、登記すべき事項は、いずれも株式会社の登記事項中の取締役などの選任または変更であつて、両者とも共通しているのはもちろん、右登記事項たる取締役などの選任、変更についてはいずれも株式会社における議決機関の決議を要することになつている(前者の議決機関は「創立総会」であり、後者の議決機関は「株主総会」である。)ばかりでなく、しかも右両者の議決機関の性質及び議決の方法も同様である。すなわち株式会社設立後における取締役等の選任及び解任は株主総会の決議を要し、またその決議の方法についても特別の定足数が定められている(商法第二五四条、第二五六条の二、第二五七条)に対し会社成立前の取締役などの選任については創立総会の決議を要し(同一八三条)またこれらの決議の方法についても出席したる株式引受人の議決権の三分の二以上であつて、かつ、引受ありたる株式の総数の過半数にあたる多数をもつて一切の決議をなすことになつており(同第一八〇条第二項)、これはむしろ株主総会の特別決議(同第三四三条)よりも遙るかに丁重な手続である(これは会社設立に関するすべての事項を重要視し、発起人の独断専横に陥ることがないよう特別の定足数を定めた趣旨と理解される。)またこれら議決機関の性質についてみるも、株主総会は株式会社にあつては株主全員をもつて構成する最高の議決機関であり、創立総会は、会社設立前における株式引受人全員をもつて構成する最高の議決機関であり、右創立総会において、取締役及び監査役を選任するのはこれをして設立手続に欠缺がないかを調査報告させるにあると同時に将来会社成立後たゞちにこれをしてそれぞれ業務執行ならびに代表の任と監督の任にあたらしめようとするためであつて、この点は株主総会において取締役を選任する場合との間に何らの差異はないのである。

したがつて、株式会社の取締役などの選任または変更登記について、原判決が創立総会を開き何らの決議をなした事実がないのにこれあるもののように装い虚偽の創立総会議事録を作成して取締役等選任の登記申請をなし登記官吏をしてその旨商業登記簿の原本に不実の記載をなさしめ、これを備付け行使したことが明らかな事案に対し公正証書原本不実記載、同行使罪にあたらないと判断したことは、前記大審院判決が株主総会を何ら開いて決議した事実がないのにこれあるもののように装つて登記申請をなした事案に対し、同罪にあたると判断したことと相反することは明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れないものと思料する。

第二点 国税犯則取締法に関する判例違反

一、原判決が、「本件収税宮吏の告発は無効であり、かかる告発によつて提起された本件公訴はその規定に違背し不適法といわざるを得ない」と判示したのは、国税犯則取締法第一三条第一項但書の解釈に関するつぎに掲げる諸判例に相反する判断をしたものであり、右は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

(イ) 最高裁判所昭和二四年(れ)九一二号、同年七月二三日第二小法廷判決(刑集三巻八号一三八六頁)

(ロ) 大審院明治三四年(れ)一二〇六号、同年一〇月七日刑事第一部判決(刑録七輯九巻三二頁)

(ハ) 東京高等裁判所昭和二七年(う)三三〇五号、昭和二八年一月二六日第三刑事部判決(高裁刑特報三八号一〇頁)

(ニ) 同裁判所昭和二七年(う)一七一一号、昭和二八年三月一〇日第六刑事部判決(高裁刑集六巻二号二四一頁)

二、まず原判決の判断に関連する事実関係を本件記録に基づき摘示するとつぎのとおりである。

(一) 被告人は、熊本県警察本部による本件土建暴力事件に関し、自己の名が浮びあがつた昭和四一年五月下旬頃から上京中、同年六月一二日東京都内のホテルで道家貴治に対する恐喝の罪により司法警察員に逮捕され、翌一三日熊本県警察本部司法警察員に引致され、その取調べを受けたうえ、翌一四日書類とともに熊本地方検察庁検察官へ送致され、同日同検察官は熊本地方裁判所裁判官に対し刑事訴訟法第六〇条第一項第二号、同第三号にあたるとして勾留の請求をするとともに同法第三九条第二項により接見禁止決定の請求をなし、同日同裁判官は、被告人に対する勾留状を発付するとともに、同条第一項に規定する以外の者との接見等禁止決定をした。その後右勾留は検察官の請求により同年七月四日まで延長され、その満了の同日被告人は勾留中のまゝ前記恐喝の罪と木部マツに対する恐喝及び被告人木下末広らと共謀による前記公正証書原本不実記載、同行使の罪で起訴され右後者の両罪についても求令状により同法第六〇条第一項第二号により勾留された。

(二) 一方、熊本国税局収税官吏浜田明男は、同年七月一日同警察本部からの通報により、被告人に対する本件入場税法反則事件について質問調査を開始し、当時京町拘置支所に勾留中の被告人にも面接して質問を行なつたが、被告人は「そのような事実はでつちあげだ。公開の場所ではつきりさせる。」といつて全面的に反則事実を否認した。しかし、被告人が本件興行の主催者であること、その開催期間中の興行収入が被告人の預金口座に入金されていること、また主催者が熊本県母子会連盟を通じて県下一円に販売した本件前売券について右母子会連盟が主催者との間に前売券売りさばきの精算をしておりその時期もおおむね同年一一月以降であることなどが関係証拠によりほゞ明白になつたので、同収税官吏は、被告人が同年五月下旬頃から住居を離れて上京中同年六月一二日別件恐喝罪で逮捕されたこと、暴力団関係者であること、収税官吏などの調査に対し全面的に事実を否認していることなど諸般の事情を考慮し、また被告人は当時勾留されているとはいえ、いつ釈放されるかもしれない事情にあるため、国税犯則取締法第一三条第一項第二号、同第三号の逃走及び証憑湮滅のおそれがあると認め、これらの事由を記載した告発書(記録四四六五丁ないし四四七八丁)をもつて、同年七月四日熊本地方検察庁検察官に対し、直ちに告発をした。

右七月四日付告発は、本件入場税法違反の全体を一一月分の一罪として告発したものであるが、その後前売券発売の対価として入金された被告人所有の預金通帳などを調査の結果、これが九月分、一〇月分及び一一月分と分れてそれぞれ収納されていることが判明したので前記告発事実を各月別に訂正する趣旨のもとに九月分及び一〇月分の各反則事実を特定したうえ、一一月分については、七月四日付告発の一一月分から右九月分及び一〇月分の合計額を差引確定するよう検察官に一任して、同年九月一九日第二回目の告発がなされた(記録一二二一〇丁証人浜田明男の供述)。

よつて検察官は、これらの告発に基づき同月二二日熊本地方裁判所に対し、被告人を本件入場税法違反で公訴を提起し、同裁判所は実体審理をして有罪判決を言い渡した関係にある。

三、原判決は、

「被告人は第一回目の告発当日は、勾留事実である道家貴治に対する恐喝事実のほか、これに併せて求令状により木部マツに対する恐喝及び前記公正証書原本不実記載、同行使の事実で公訴を提起され、以上各事実で勾留され、かつ、接見禁止決定がなされていたので、当時本件を通告処分に付するとしてもこれに必要とされる期間内に容易に被告人が釈放される見込のなかつたことは明らかである。これは前記起訴前から選任されていた弁護人が被告人の保釈請求を右起訴後約五〇日たつた同年八月二四日までしていないことによつてもうかがわれる。そこで当該収税官吏において検察官へ同被告人の身柄関係の現状及び見透しを照会した場合には容易にこれが釈放される見込みのないことは簡単に判明できたはずである。」

と説示したうえ、

「同収税官吏が被告人が釈放される可能性があり、そのときには本件につき逃亡、罪証湮滅のおそれがあると考えたことは、右告発当時の被告人の身柄の拘束をめぐる具体的事情につき重大な過失に基づく錯誤があつたためといえる。」

と断じている。

さらに原判決は国税犯則取締法第一三条第一項但書の解釈について「収税官吏は同条第一項但書各号の事由があるときに限つて直ちに告発することが許されるが、右該当性有無の判断は、告発の時点における具体的実情に即して客観的に妥当性が是認されるときはじめてその告発は有効であるということができるものと解するを相当とする」旨判示したうえ、結論として「本件においては右該当性の有無の判断がその妥当性において前段で認定した情況からしてこれを肯定することができず、記録を精査しても右告発が有効であつたと認めるに足りる事情は見当らないので、本件告発は右に説示したとおり法定の要件を欠缺し無効であると認めるに十分であり、かかる告発によつて提起された本件公訴はその規定に違背するものであつて不適法といわざるを得ない。(ちなみに本件における二回目の告発も右要件を欠いていたことは、当時被告人が釈放されるとすれば保釈が考えられるのみであつたうえに当時すでに前の告発によつて検察庁の本件事件の捜査が完了していたことは明らかである。)」旨判断している。

以上を要するに原判決は、収税官吏が同条同項但書により直ちに告発できるのは、告発当時の具体的状況に即して客観的妥当性が是認されるときはじめてその告発は有効である、と解釈し、本件告発は収税官吏において当時の被告人の身柄の拘束をめぐる具体的事情につき重大な過失に基づく錯誤により、逃走及び証憑湮滅のおそれがあるとしてなされたものであるから、無効であり、これによつてなされた公訴は不適法であるというにある。

四、しかしながら前記(イ)ないし(ニ)の判例は、いずれも国税犯則取締法第一三条第一項但書の解釈について、同条同項但書に規定する特別の事由の有無の認定権は当該収税官吏に一任されたもので、同収税官吏が同条同項但書の事由があると認めて告発をなした以上、その告発は有効であるとの趣旨を明示したものである。

いうまでもなく右告発は刑事訴訟法に規定する官吏の告発ではなく、国税犯則取締法上の処分としてなすところの告発であり、これをなすの権は、当該収税官吏のみに与えられたものであつて、同官吏が当時の情況に徴し、同条同項但書の事由ありと判断して告発をなした場合には、これが有効となることはもちろんである。

しかるに原判決は、収税官吏の同条項但書に規定する事由存否の認定権限を制限的に解釈し、この収税官吏の右該当性有無の判断は、「告発の時点における具体的事情に即して客観的に妥当性が是認されるときはじめてその告発は有効であるということができるものと解するを相当とする。」と判示したうえ、本件において「収税官吏の告発当時被告人は起訴後の勾留に移され、接見禁止決定もなされていたので、少なくとも通告処分に必要とされる期間内に釈放される見込のないことは明らかであり、被告人に逃亡及び罪証湮滅のおそれはなく、これありと信じた収税官吏は身柄拘束をめぐる具体的事情につき重大な過失に基づく錯誤があつたためといえる。してみると本件収税官吏の告発は無効である」旨判断している。これは前記(イ)の最高裁判所判例の事案における弁護人の上告論旨が「国税犯則取締法第一三条による収税官吏の告発権は、客観的に而も具体的妥当性の認められる場合にのみ許されているものと解さねばならぬ」と主張し、「小野塚軍二の告発の理由は犯則嫌疑者逃走の虞あるによるとなつているが記録上はかく認定し得る具体的事実は少しも明らかでなく、しかも逃亡の虞ありと認定して告発した当時は被告人はすでに勾留されていたので、全くその虞がない事情にあつたから、右収税官吏の告発は無効である」と主張しているのと揆を一にしているが、同最高裁判決はこれを是認することなく、「右収税官吏の告発の原由たる犯則嫌疑者逃走の虞れありや否やの認定は、当該収税官吏の判断に任ずることは間接国税犯則者処分法第一三条の規定(注、現行「国税犯則取締法」第一三条第一項相当)の解釈上疑いのないところである。しからばその職権ある収税官吏による法律所定の告発がなされ、次いで検察官の公訴が提起された本件においては公訴の適法であること勿論である」旨判示して、上告を棄却し、前記(ロ)の大審院判例もこれと全く同趣旨の判示をしている。

さらに、前記(ハ)の東京高裁判決は「収税官吏が右第一三条但書に該当する事情が客観的に存在すると認められないのにこれ有るものと誤信して告発した如き場合ですら其の告発を無効であるとすべきではない。右条文はその場の情況に応じて但書各号に掲げた如き事情が存在するか否かの認定を当該収税官吏にまかせた趣旨であるから、その誤認は告発の無効を来すとすべきではないのである。」と判示し、前記(ニ)の東京高等裁判所判決も同趣旨の判断をしている。

したがつて、原判決が、収税官吏の同条同項但書事由の存否の認定権につき制限的に解釈して本件収税官吏の告発は客観的に妥当性が肯定できないから無効であると判断し、本件、公訴の棄却をしたのは、前記(イ)ないし(ニ)のいずれの判例にも相反する判断をしたものである。

また身柄勾留中の犯則嫌疑者がいつ釈放されるかもしれない事情にある場合において、釈放されれば逃走のおそれあるときは同条同項第二号にいわゆる「犯則嫌疑者逃走ノ虞アルトキ」の要件にあたることは、前記(イ)の最高裁判所判決の判示するところであるにもかかわらず、本件において、浜田収税官吏が、別件の事実で勾留中起訴された被告人がいつ釈放されるかもしれない事情にあり、釈放されれば逃走及び証憑湮滅のおそれがあると認定して直ちに告発をなし、これにより検察官が公訴を提起した事件につき、右同条同項但書第二号の要件にあたらないとして右公訴を棄却した原判決の判断は、右(イ)の最高裁判所の判例に相反するものである。

五、さらに本件において、浜田収税官吏が当時の事情から被告人に対し直ちに告発すべき「逃走及び証憑湮滅の虞ある」と認定したのは相当であり、これを不当とする原判決の説示は理由がない。

(一) まず、原判決は、「本件告発当時被告人は別件起訴事実で勾留中であり、通告処分に付するとしてもこれに必要とされる期間内に容易に被告人が釈放される見込のなかつたことが明らかである」旨説示しているが、勾留の期間は公訴の提起があつた日から二カ月である(刑事訴訟法第六〇条第二項)とはいえ、勾留されている被告人または弁護人その他の保釈請求権者は保釈の請求ができ(同法第八八条)、しかも保釈の請求があつたときは、裁判所は特別の除外事由がない限り、これを許さなければならない(同法第八九条)のであり、その他裁判所は、適当と認めるときは、職権で保釈を許すことができ(同法第九〇条)または被告人もしくは弁護人などの請求により、あるいは職権で勾留を取り消すこともできる(同法第八七条)のであるから、かえつて公訴の提起のあつた被告人は必要的保釈の設けられた趣旨からも釈放される蓋然性が高く、かりにその被告人について収税官吏が反則事件の調査中であると、はたまた検察官が余罪捜査中であるとにかかわりなく、被告人もしくは弁護人の請求いかんまたは裁判所もしくは裁判官の裁量いかんにより、いつ釈放されるかもしれない関係にあることは明らかである。

(二) また原判決は、前記のとおり告発当時「被告人が釈放される見込のなかつたことは弁護人が被告人の保釈請求を起訴後約五〇日後までしていなかつたことで明らかであり、また収税官吏において検察官へ被告人の身柄関係の現状及び見透しを照会した場合には、容易にこれが釈放される見込のないことは簡単に判明できた筈であり、これをしないで被告人が釈放される可能性があり、そのときは逃亡、罪証湮滅のおそれがあると考えたことは、重大な過失に基づく錯誤があつたためといえる」旨説示している。

しかし弁護人からの保釈請求が起訴後約五〇日後になされたことは事後に判明した事実であつて告発当時においては収税官吏も検察官もまつたく予測できなかつた事情であり、また公訴の提起があつたのちの勾留に関する処分は裁判所がこれを行なうので、本件において収税官吏が告発当時検察官へ被告人の身柄関係の現状及び見透しを照会したとしても、責任をもつてその見透しを回答することは困難であり、ただ回答できることは、被告人または弁護人の保釈の請求いかんにより、いつ裁判所の保釈許可決定がなされて釈放されるかもしれないというにとどまるのである。したがつて、収税官吏がその旨認定したのは相当であり、原判決が前記のとおり説示したのは理由がない。

(三) しこうして、収税官吏浜田明男の告発書(記録四四六五丁ないし四六六七丁)及び同人の第一審公判における供述(記録三二〇三丁ないし三二三七丁)によれば、同人が同年七月四日付で告発した本件入場税法違反事件の概要は、

「被告人は、昭和三六年一〇月一日から同年一一月三〇日までの間熊本城内竹の丸において熊本商工会議所の主催名義で熊本大菊人形博覧会を開催した際、入場税を免れようと企て、ことさらに券面の切り取り線にミシンを入れない前売券を発売し、これを同会議所及び熊本県母子会連盟などを通じて県下に売りさばいたうえ、入場者が入場の際、その半片を切り取らないでそのまま回収して別途保管し、これを未使用残券と仮装する方法で所轄熊本税務署に対し入場料金の総額(課税標準額)と入場税の過少申告をして一一月分の入場税一八七万七八四〇円をほ脱した」というのであつて、組織的計画的な犯罪であるうえ、右犯行の企画遂行には多数の人物が介在しているところ、被告人は同収税官吏が同年七月一日京町拘置支所で質問を行なつた際も「そのような事実はデツチあげであり、本件については公開の場所ではつきりさせる」などと主張して全面的に事実を否認したばかりでなく、また右入場料金の収納事実を裏付ける帳簿書類もなく、特に被告人が主催者であり、行為者であること及びほ脱の犯意などを証明する重要参考人は、すべて被告人の使用人であるか被告人の腹心の部下であること、被告人は当時熊本県警察本部による土建暴力事件の摘発の対象となるや五月下旬ごろから国会請願と称して上京中の六月一二日東京都内のホテルにおいて恐喝事件で逮捕されたもので、関係者から暴力団木下組の組長として畏怖されていたこと、その他被告人の社会的地位、その勢力及びその他の者に対する影響力を併せ考えれば、被告人が釈放されれば関係者と通謀し、またはこれらの者に働きかけてその供述を左右し、黙秘または否認させるなどの反証工作を行ない証憑を湮滅するおそれがあり、また税収官吏の呼び出しに応ぜず、かつ、逃走するおそれがあることは十分推知できる状況にあつたと認められるのであり、このような状況のもとにおいて被告人に対し通告処分を行ない、その履行を求めることはおよそ意味がなくまたこれを求めてもその目的を達しうる可能性はほとんどないことにかんがみても、収税官吏が本件について国税犯則取締法第一三条第一項但書の事由があると判断して直ちに検察官に告発したのは相当であると認めなければならない。したがつて、これによりなされた本件公訴の提起は有効である。

(四) なお原判決は、第二回目の告発についても前記のとおり、同条同項但書の要件を欠いていた旨判示しているが、前記浜田明男の供述によつて明らかなとおり(記録三二一〇丁)右第二回の告発は、新たな事実に関するものではなく、第一回目の告発を訂正する趣旨でなされたものであり、しかも第一回目の告発が有効なることは前記のとおりであるから、原判決の右説示も理由がない。

以上の理由により本件において収税官吏が当時の情況から勾留中の被告人についていつ釈放されるかもしれない事情にあり、その場合は逃走及び証憑湮滅のおそれがあると認めたことは相当であり、また仮りにこれが客観的にみて相当でないとしても、同法第一三条第一項但書の事由ありと信じた以上、その告発は有効であつて、これに基づき検察官が公訴を提起し、第一審裁判所が実体審理をして有罪の判決を言い渡した本件について前記のとおり判示して、本件公訴を棄却した原判決は、前記各判例と相反する判断をしたことが明らかである。

以上いずれの点よりするも、原判決は破棄を免れないものと思料する。

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